さえわたる 音楽・エンタメ日記

はやり歌の世界、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、テレビ番組の感想、旅行記などについて綴っています

ソロアイドル史第10章~1980年デビュー組

当カテゴリーでのこの連載、今日で10回目となりましたが、個人的に最も盛り上がりがあり、印象深かったのが、この1980年という年です。

 

平成・令和を生きる方々にはなじみが薄いかもしれませんが、昭和に生まれた者、特に音楽に親しむ者にとって「80年代」の言葉は一種の固有名詞ともなっています。

 

1980年10月5日(日曜日)、70年代に誕生したトップアイドルと呼んで過言ではない山口百恵のラストコンサートが行われました。

1か月半後に三浦友和との結婚を控え、ウエディングドレスをイメージさせる純白のドレスを身にまとって、自身31枚目、実質上のラストシングルとなった「さよならの向こう側」を歌い終えた後、白いマイクをステージ上にそっと置いて立ち去る姿は、伝説のパフォーマンスとして当時話題となりました。

 

同じ年、遡ること6か月ほど前にデビューしたのが、当時18歳だった松田聖子です。

アイドルとしてのイメージも楽曲のスタイルもまったく異なりましたが、同じ年にかたや引退、かたやデビュー。

「アイドル界を代表する存在」としてのバトンが百恵から聖子に受け渡された…そんな節目の年であったと感じます。

ちなみに、二人の年齢差はわずか3歳というのが信じられません。

 

松田聖子については、デビューから1985年まで5年間の「純粋な」アイドル時代、結婚・出産を経ての再スタートを通じてさらに生み出された個々のヒット曲を語り始めるとキリがありません。

3枚目の「風は秋色」から1988年、26枚目の「旅立ちはフリージア」まで24作連続オリコン1位獲得は、当時の新記録でした。

彼女の代表曲を一般の人に問えば、「青い珊瑚礁」や「赤いスイートピー」「Sweet Memories」あたりが出てきそうですが、純粋なセールス枚数で見てみると、そこからさらに8年後の1996年に再び1位を獲得した「あなたに逢いたくて~Missing you」が、誰でもが口ずさんだ初期の数々の楽曲を抑えてトップというのも、ちょっと意外な事実です。

2016年には「薔薇のように咲いて 桜のように散って」をリリース。

デビューから36年も経って発売したシングルですが、それでも初登場6位を果たしています。

途中若干のブランクをはさみながら、現在も「紅白」には出場中。

アンケートをとれば「好きな歌手」「嫌いな歌手」双方に名前が登場してきそうですが、逆にそれこそが「知名度」の証でもあります。

聖子については、第12章(1982年デビュー組)で取り上げる予定の中森明菜を語る際「聖子派・明菜派」で再び触れることになりそうですが、現在の「AKB・坂道」に至るまで「アイドル」の用語が使用され続けている中、セールス実績・第一線での活躍期間の長さ(現役感)・年代性別を超えた認知度・トーク&バラエティーセンス・世間に与えたインパクト等において、今後彼女以上の存在感を放つアイドルは現れないであろうと思っています。

 

ところが、この年レコード大賞最優秀新人賞を獲得したのは、聖子ではなく田原俊彦でありました。

「たのきん」の一人として、第11章で登場する近藤真彦、第13章の野村義男とともに一世を風靡した田原。

アイドル歌手としてのヒットは多数あり、今もゴールデンタイムでのレギュラー番組はありますが、そのトークやコメント力に特段のセンスがあるわけではなく、58歳となった現在、現役感には乏しく、「往年のアイドル」「元アイドル」の呼び方が相応しい現状であります。

 

他の女性陣で代表的だったのは、河合奈保子岩崎良美柏原芳恵など。

 

河合奈保子は前年までにデビューしたアイドル像を最も純粋に踏襲した正統派アイドル。

デビューから1年ほどはあまりヒットに恵まれませんでしたが、翌年5作目の「スマイル・フォー・ミー」で知名度を上げました。

その後「けんかをやめて」「エスカレーション」などを経て、5年後「デビュー」(というタイトルのシングル)で最初で最後のオリコン初登場1位を獲得しています。

 

岩崎良美は、岩崎三姉妹の末っ子。

姉・宏美デビューの5年後「赤と黒」でデビューしました。

アイドルとしては遅めの18歳でのデビューだったこともあってか、楽曲は玄人受けするオトナっぽいモノが多かったと感じます。

代表作と呼べる「タッチ」がヒットしたのはデビューから5年経った1985年のことでした

 

柏原芳恵(デビュー時は柏原よしえ)は、14歳ながらやや大人っぽいイメージをセールスポイントとして、阿久悠・都倉俊一のゴールデンコンビによる楽曲「No.1」でデビューしましたが、1年半ほどは目覚ましい活躍には恵まれませんでした。

転機となったのが、翌1981年に発表された7枚目のシングル、「紅茶のおいしい喫茶店」の歌い出しで知られる「ハロー・グッバイ」。

一般的には彼女オリジナルのシングルと認知されていますが、かつてのアイドル・アグネスチャンのシングル曲のカバーだったのです。

そして、彼女を一躍有名にしたのは、1983年にリリースされた、中島みゆきの作詞・作曲による「春なのに」でしょう。

 

さらに、「動」と「静」の二面性のイメージを持っていた山口百恵の「動」=ツッパリイメージを継承してこの年「セクシー・ナイト」でデビューしたのが、いまや議員センセイとなった三原順子(現・三原じゅん子)でありました。