「気持ちはわかるんだけどねぇ…」に続く結論はたいてい「No」。言う方も実はつらいのかも?
ビジネスシーンでのコミュニケーションは、実に多種多様です。
コミュニケーションの持っていき方次第で、仕事がうまく運ぶかが決まる、と言っても過言ではない状況がたくさんあります。
頻繁に
「〇〇会議」
の名の下行われる「ミーティング」。
シンプルなスケジュール連絡のような内容ならば、差し迫って特に大きな問題は起こりません。
しかし、何らかの大きな方針を定める、意思決定をするための打合せ・ディスカッションは、企業にとっても個人にとっても重要な位置づけを占めます。
そうした場では、結論までに賛否両論が出ることが少なくありません。
たとえばA案優勢の時に、自分自身どうにも納得できない面があってB案を推そうと発言する。
途中の議論ではいろいろなプロセスをたどりつつも、
「君の気持ちはわかるんだけどねぇ、ここは諸般の状況からしてこっちにした方が良いんだよ」
として、結局はA案で押し切られてしまうケースも出てきます。
「気持ちはわかる…」の言葉で、一見文字通り「こちらの気持ち」に配慮したような言い回しにはなっています。
しかし、それを言われたからと言って、自分の意見が通り当初案が覆ることはありません。
ヘタに言葉の「緩衝材」を入れられることで、「何のための議論だったのだ?」と却って切ない気持ちがあとで残ってしまうことがあります。
本当にB案は検討に値するものと考えてくれているのか、とさえ思ってしまうことも。
一方で、自らのポジションが変わっていくにつれ、
「気持ちはわかるんだけどねぇ」と発言した側~意見を取りまとめる立場としても、実はつらい環境にいる
こともわかってきました。
対案にも、確かに一理ある。
心情的には、議論のきっかけを出してくれた者の気持ちもくんでやりたい。
しかしもろもろの事情で(端的に言えば上層部の意向で)大枠の方針はすでに決まってしまっていることが多い。
ディスカッションの場は一応用意しながらも、実は結論ありきで、会議は単にそれを伝達するだけの場になってしまっている。
そこに至るまでに、関係者の「根回し」が周到に進んでいることが多々あります。
想定される反対意見をうまくまとめるために、それぞれの発言者の心を折らないようにフォローしなければならない。
対象は、会社の会議の場だけにとどまりません。
個人的な相談事であっても、「気持ちはわかるよ」発言が出るケースはよくあります。
ただ、会社と共通しているのは、そのあとに続く言葉が必ず「だけどね…」であること。
話は「心情的には理解できるところもあるけれど、最終的にそれに同意することは出来ない」とつながっていきます。
「気持ちはわかるんだけどねぇ」というこの言葉。
さまざまな場面で登場しますが、実際に使われてみると、字面の良さに比べて「癒し効果」はあまりないような気がしています。