さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

「気持ちはわかるんだけどねぇ…」に続く結論はたいてい「No」。言う方も実はつらいのかも?

ビジネスシーンでのコミュニケーションは、実に多種多様です。

 

コミュニケーションの持っていき方次第で、仕事がうまく運ぶかが決まる、と言っても過言ではない状況がたくさんあります。

 

頻繁に

「〇〇会議」

の名の下行われる「ミーティング」。

 

シンプルなスケジュール連絡のような内容ならば、差し迫って特に大きな問題は起こりません。

しかし、何らかの大きな方針を定める、意思決定をするための打合せ・ディスカッションは、企業にとっても個人にとっても重要な位置づけを占めます。

 

そうした場では、結論までに賛否両論が出ることが少なくありません。

 

たとえばA案優勢の時に、自分自身どうにも納得できない面があってB案を推そうと発言する。

途中の議論ではいろいろなプロセスをたどりつつも、

「君の気持ちはわかるんだけどねぇ、ここは諸般の状況からしてこっちにした方が良いんだよ」

として、結局はA案で押し切られてしまうケースも出てきます。

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 「気持ちはわかる…」の言葉で、一見文字通り「こちらの気持ち」に配慮したような言い回しにはなっています。

しかし、それを言われたからと言って、自分の意見が通り当初案が覆ることはありません。

 

ヘタに言葉の「緩衝材」を入れられることで、「何のための議論だったのだ?」と却って切ない気持ちがあとで残ってしまうことがあります。

本当にB案は検討に値するものと考えてくれているのか、とさえ思ってしまうことも。

 

一方で、自らのポジションが変わっていくにつれ、

「気持ちはわかるんだけどねぇ」と発言した側~意見を取りまとめる立場としても、実はつらい環境にいる

こともわかってきました。

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対案にも、確かに一理ある。

心情的には、議論のきっかけを出してくれた者の気持ちもくんでやりたい。

しかしもろもろの事情で(端的に言えば上層部の意向で)大枠の方針はすでに決まってしまっていることが多い。

ディスカッションの場は一応用意しながらも、実は結論ありきで、会議は単にそれを伝達するだけの場になってしまっている。

そこに至るまでに、関係者の「根回し」が周到に進んでいることが多々あります。

 

想定される反対意見をうまくまとめるために、それぞれの発言者の心を折らないようにフォローしなければならない。

 

対象は、会社の会議の場だけにとどまりません。

 

個人的な相談事であっても、「気持ちはわかるよ」発言が出るケースはよくあります。

ただ、会社と共通しているのは、そのあとに続く言葉が必ず「だけどね…」であること。

話は「心情的には理解できるところもあるけれど、最終的にそれに同意することは出来ない」とつながっていきます。

 

「気持ちはわかるんだけどねぇ」というこの言葉。

さまざまな場面で登場しますが、実際に使われてみると、字面の良さに比べて「癒し効果」はあまりないような気がしています。