さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

心に残る「万博」と言えば、圧倒的に1970大阪万博(テーマソング付き)

昨日つくば万博の話をしていて、思い出しました。

2025年、再び大阪で万博が開催されることを。

 

万博は、今でも世界のどこかの国で定期的に行われているのでしょうが、メディアでの取り上げられ方や世間的な注目度は、同じく世界規模で行われるオリンピックとは比べ物にならないほど小さいような気がします。

 

日本での「万博」と言えば、「つくば博」や「海洋博」「愛・地球博」等が開かれてはいますが、何と言っても1970年の「日本万国博覧会」のインパクトがケタ外れに絶大です。

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「人類の進歩と調和」をテーマとして、アジアで初めて開かれた国際博覧会

3月から9月まで半年間の開催期間に、なんと6400万人が来場するという爆発的な人気を博しました。

私も、その中の一人でした。

新幹線に初めて乗ったのがこの時だったことを覚えています。

 

まだまだ「世界」が遠い存在だった時代に、77か国もの国々が参加し、そこここにその国の様子を紹介する展示館(「パビリオン」と呼んでいました)が建ち並ぶ。
加えて、三菱・住友・日立など国内の錚々たる大企業グループによる「企業館」展示もいくつかありました。

それらを夏休み3日かけて見て回ったのですが、「月の石」を展示したアメリカ館やソ連館、太陽の塔などの人気パビリオンは、TDRなど足元にも及ばないほどいつ行っても長蛇の列で、入場をあきらめて他の館へ行かざるを得ませんでした。
しかし、それ抜きでもわたる少年には十分すぎるほどの強烈な印象を残しました。

当時のニッポンは、まさに高度経済成長期の真っ只中。
来たるべき21世紀は、「バラ色だらけの未来」でした。
当時はオイルショックも未経験の時代。
博覧会で目にする将来、イコール希望そのものでした。
クルマは空中を駆け巡り、人類は宇宙に積極的に進出して、宇宙ステーションで生活している…
(人類が初めて月面着陸した頃でしたから、「宇宙」は未来のキーワードだったのです)

今のケータイの原型や「人間洗濯機」のような超ハイテクの展示にも、大いに惹かれました。
そんな夢のような将来が待っている…幼心にそう感じる巨大イベントでした。
この見物記録を夏休みの自由研究としてまとめたところ、2学期はじめに体育館で行われた「自由研究学年別発表会」で、最優秀作を獲得したこともありました。

 

開催前には、こんな歌も発売され世の中に知れ渡りました。

三波春夫の「世界の国からこんにちは」。 

歌詞にも「月の宇宙へ~地球を飛び出す」の言葉が出てきます。

「明るい未来」「世界とのつながり」を感じさせる歌です。

www.youtube.com

 

実際の21世紀がこんなにも先行きの厳しい時代になるとは、当時思いもしませんでした。

万博があんなに盛り上がったのは、規模の大きさもさることながら、日本が右肩上がりだった時代背景あってこそ。

6年後の万博にあの盛り上がりの再来を期待するのは、はなから無謀と感じます。

 

「昔は良かった」とばかり思っているわけではないけれど。

高度成長期真っ只中、現代のような閉塞感を味わうことなく、純粋に将来に夢を抱けた時代を人生の中で経験できたこと、そんな時代に生まれることができたこと自体が、幸せと言えるかもしれません。

 

余談ですが、何の因果か、大阪に暮らしていた頃の家が、万博会場の跡地である「万博記念公園」から歩いてすぐのところでした。

今は「太陽の塔」だけが残る緑一面の整備された公園に、子供たちを連れてよく遊びに行ったものです。

そのたびに「あの頃の夢の跡」を探している私がいました。