「時間を守れるか」は社会生活の基本
自慢でもなんでもないのですが、私はどんな場面でも「遅刻」をしたことがありません。
(災害や電車が遅れるなどの不可抗力は除いて)
時間に厳格でないと気が済まない…「自慢」とは逆に「欠点」とさえ思うほどです。
待ち合わせ時刻には、最低5分以上前に到着します。
職場には、途中通勤で何かトラブルがあったらと考えて、開始時刻の30分以上前に着くようにしています。
物事をもっとアバウトに考えることが出来れば、人生もっとずっとラクなのにと自分でも思いますが、性格は直せませんね。
グループで待ち合わせをする時、必ず遅れる人物がいます。
そうした人間には「時間を守るのは基本」という意識が、最初からありません。
今はスマホで簡単に連絡が取り合える時代。
ですから、予定が狂ったら連絡さえすればそれでOK、という感覚なのでしょう。
仲間うちで付き合いが続けていけるのは、その連中が「遅刻なんて平気」という同じ意識を共有していて、「遅刻などお互いさまでまったく問題ナシ」という暗黙の了解があるからなのかもしれません。
遊びの場面ならともかく、これが仕事の場でも繰り広げられます。
会議・打ち合わせはほかの仕事の兼ね合いである程度仕方ないとしても、出社遅刻の常習犯となるのはいかがなものかと。
待たされて失われた貴重な時間が戻ってくるわけではありません。
しかも、時間は有限。
「時は金なり」とよく言いますが、私に言わせれば「時は金以上」です。
お金は働いて得ることが出来ますが、時間はそうはいきません。
私自身、人に待たされるのはもちろんイヤ。
でも、人を待たせるのはもっとイヤな性分。
面倒くさい人間ですね。
しかし、「時間に正確か・ルーズか」「公私どんな場面でも決められたルールを守れるか」という至極単純な行動が、その人の人間性・品性を判断する最もわかりやすい指標だなと、と感じています。