【懐かしい歌No.81 シンガーソングライターがシンガーに徹した海外のご当地ヒットソング】「飛んでイスタンブール」庄野真代(1978)
ニッポンの「はやり歌」には、古くから「ご当地ソング」なるものがありました。
現在も、主に演歌・歌謡曲と呼ばれるジャンルで数多くリリースされています。
しかし、なかば「大前提」として、その舞台は「日本国内」でした。
洋楽オリジナルの曲に日本語の歌詞をつけた「輸入ポップス」ではなく、完全に日本製の歌で、海外の街を舞台にしてヒットした「先駆け」的な楽曲。
それが、この「飛んでイスタンブール」です。
しかも、欧米の有名な都市ではなく、いきなり「トルコ」です。
この曲のヒットがきっかけになって、かどうかはわかりませんが、
翌1979年には、海外が舞台の曲が立て続けに発表されました。
サブタイトルに「シルクロードのテーマ」とある久保田早紀「異邦人」。
タイトルそのものズバリ・アメリカの、サーカス「アメリカン・フィーリング」。
当時はまだまだ「地球は広かった」。
海外をテーマにした歌は、それだけで魅力を生んだのかもしれません。
エキゾチックなイントロですが、決して難解ではなく、すんなり耳に入ってきます。
ワンコーラスはキレイに「前半・後半」に分かれます。
前半は、来たるべき後半のサビの「先導役」となっています。
ちあき哲也の作詞は、一見「何を言いたいのか意味不明」のように思える言葉遣いですが、これが後半の「耳から離れない覚えやすいサビ」につながっているのです。
ちなみに「ジタン」とは、タバコの銘柄です。
後半は、おそらくニッポンの歌謡史上初の土地「イスタンブール」を登場させながら、
同じ「~ル」で終わる言葉で「韻」を踏んでいます。
1番では、
おいで イスタンブール
恨まないのが ルール
飛んで イスタンブール
光る砂漠で ロール
2番では、
おいで イスタンブール
人の気持ちは シュール
好きよ イスタンブール
どうせ フェアリーテール
一見「言葉遊び」のようにも思えますが、作曲の筒美京平によるメロディーとのコラボレーションがピッタリとハマっています。
「流れの美しさ」だけでなく、「はやり歌として覚えやすい」要素がしっかりと織り込まれています。
ステージで美しい歌声を披露している庄野真代。
もともとは、シンガーソングライターとして1976年にデビューしています。
「Old Black Joe」をモチーフにした、自作のバラードナンバー「ジョーの肖像」がデビュー曲。
これも個人的には忘れがたい名曲なのですが、あまり話題にはなりませんでした。
翌年には、ユーミンの代表作のひとつである「中央フリーウェイ」をシングルとしてカバーしたり、堀内孝雄から楽曲提供を受けたり。
5枚目のシングルとなるこの曲で、その知名度を全国区にしました。
令和の世にも残したい、見事な出来の「昭和歌謡」です。
その後同じ作家陣で、ヨーロッパ・モナコに舞台を移して「モンテカルロで乾杯」。
その次には、アメリカ・メキシコ国境の街「エル・パソ」を歌った「マスカレード」を発表しています。