人と同じでないと「流行遅れ・外れ」で不安なのか?
人間誰しも、なにがしかのコンプレックスがあります。
端から見れば全然気にならないことであっても、本人にしてみれば「あの人のようになれたら…」との憧れを抱いていたりするものです。
テレビやSNSで、いま「来ている!」とされるファッション情報が発信されるや、瞬く間にそれが浸透するのは、
「自分も美しく、カッコ良くありたい」
そんな願望の現われなのだろうと思います。
流行とひと口に言っても、
髪型・洋服・スイーツ・言葉・歌…
さまざまあります。
たとえばファッションに関して言えば、
「流行に乗る」イコール「今流行っている服や髪型を好んで取り入れる」
ことになります。
すなわち、「他人がやっているのと同じことを自分もやる」。
究極は、「他人のマネ」。
その背景にあるのは、
「今ごろあんな恰好してるなんて、流行遅れでだっせぇな!」
と言われるより、たとえ人と同じであっても
「『今どき』をしっかり取り入れているなぁ!」
と見られることの方がオシャレで好ましい、という心理なのでしょう。
流行とはそもそもそういうものです。
「短期間で変わっていく最新の流行を常に追いかけることこそ、カッコいい生き方である」
というのが、一般的な受け止め方なのだろうと思います。
でもその一方で、自分の「個性」をしっかり見極めることをせずに、自らを見失って周囲に振り回されるばかりの「猫も杓子も」状態になるのは、それはそれでけっこう寂しいことかなと感じたりもします。
そんなことを思う自分自身が、単に流行に疎いだけなのかもしれません。
特に、服飾品の流行にはまったく目が向きません。
ウインドウショッピングをしていて、仮に「これ、イイかも…」と思う服があったとします。
しかし、「どうせ自分のサイズに合う服などない」と現実に戻った時、そのときめきは一瞬にしてはかなく消え去ってしまうのです。
服にはS・M・Lサイズ、さらにLL・XL・XXLなど、大きめのサイズのものも取り揃えられています。
ここで要注意なのは、「X」とは「ヨコ方向」への拡大で、「長さ」方向への配慮はないこと。
具体的な数値を挙げれば、少しはイメージが伝わるでしょうか。
Lサイズの服の袖丈は最長84センチぐらいです。
私がスーツ・ワイシャツをオーダーする時の袖丈は、右手96センチ、左手95センチ。
Lサイズのズボンの股下、これも最長は同じく84センチぐらい。
私の股下は、同じくスーツで96センチ。
この状況では、ファッションに乗ろうにも乗れません。
モノの売れない時代のせいなのか、これでもかと流行を煽る情報が目立つのが、つい気になってしまいます。