「いまお電話よろしいですか?」や「要領を得ない留守録メッセージ」は、小さな時間泥棒
ビジネスシーンにメールが登場してはや四半世紀。
社内外共に、コミュニケーションの多くがメールで処理されるようになり、オフィスに電話の音がけたたましく鳴る光景は少なくなりました。
それでも、各自のデスクに置いてある固定電話がなくなることはありません。
仕事に集中している時に限って、電話がたくさんかかってくることがよくあります。
面と向かっての会話であれば、今話しかけてもOKかどうかの雰囲気を読むことが出来ますが、電話だとそれが出来ない。
かける方は、当然何かしら連絡をしなければならない(しかも、メールのやりとりを待っている時間がない急ぎの)用事があって、相手方に電話をするわけです。
一方、受ける立場においては、どんな状況であっても一旦その時点で思考回路が否応なく強制的に寸断されることになるわけです。
こればかりは宿命でどうにも仕方ないのですが、そうした状況に遭遇するたびに、なんともやり切れない気持ちにさせられます。
こんな時、相手から発せられる第一声。
社内であれば「お疲れさまです」、社外であれば「お世話になっております」の常套句があいさつの言葉としてまず交わされます。
そこまではまぁアリです。
ところが、そのあとにこれまたほとんどの割合で、
「いまお電話よろしいですか?」
のひと言が聞かれることが多いです。
唐突な連絡音で、さっきまでの思考と集中力はすでに途切れてしまった。
だけど、とりあえず大丈夫だから(大丈夫な状態にムリヤリさせられたから)、こうしてすでに電話に出ているのです。
相手側からの気遣いの言葉であることは十分理解できます。
しかし、こう尋ねられたからと言って、Noと返答できるものでもありません。
(このひと言はたいてい社内の電話で発せられるので、相手が下の人間で、本当に立て込んでいる時は「またあとにしてくれる?」「あとでこちらから折り返すから」と答えることもまれにありますが…)
タバコを手にした喫煙者に「いま吸ってもよろしいですか?」と訊かれるのと似ています。
お互い忙しい時に、その都度このやりとりを重ねる必要があるのかな?とつい思ってしまうのです。
何事も効率主義の世の中。
ささやかなことでも毎度積み重なると、本心とは裏腹の愛想の良い返答をすることがけっこうなストレスにつながる可能性があります。
また、外出先や出張で使う業務用のケータイ関係では、
留守録メッセージが残されることがよくあります。
これにも小さな苛立ちを感じる場面があります。
残されたメッセージを再生してみると、
「〇〇です。また改めて連絡します。」
とだけ残されている。
どんな用なのか?
急ぎなのか?
放置しておいてよい程度の連絡か?
メールでの返信が欲しいのか?
せっかくのメッセージ。
もうひと声だけでいい、具体的に残してくれればよいものを。
これだけでは何の用件だったのか、対応のしようがない。
わざわざメッセージを残した意味がないのでは?と。
かけた方、受けた方、お互いにムダな時間が流れます。
電話は公私共に、日常生活になくてはならない便利な存在です。
だからこそ、その使いこなし方には直接の会話以上の配慮が必要だと強く思います。