「肌ざわりの良い」はOKだが、「耳ざわりの良い」は明らかに違うでしょ?!
メディアで流される言葉には、少しでも印象を良くしようとの意図からか、あえて表現を言い換えようとしているケースがあります。
以前取り上げた記事で言えば、
「好き」に対してあからさまに「きらい」では角が立つので、あえて「苦手」と言い換える、
あるいは、
「におい」という表現は漢字で書くと「臭い(=くさい)」とも読めてイメージが悪いので、仮に「良い」がついても「イイにおい」とは言わず「イイ香り」と呼ぶようになっている、
などです。
厳密にはこれらとは違いますが、最近某番組で
「耳ざわりの良い」
という言い回しが使われている場面に遭遇しました。
話の流れから、この場合の「音」とは主に「音楽」のことを指しているようでした。
「聴いていて心地良い音」のこと、という意味で。
あるいは川の流れる音や、鳥のさえずりなども同様に含まれるかもしれません。
その出演者はきっと、「肌ざわりの良い」と同じ意味合いで、そうした表現を使ったのかと思われます。
しかしこれは、時代の変化云々の問題とは別次元で、決定的に間違っている表現だと思います。
漢字で書いてみて考えれば、その違いは明らか。
「肌ざわり」は「肌触り」、つまり肌の感触のこと。
ですから「肌触りが良い」「肌触りが悪い」双方使えるわけです。
ところが「耳ざわり」を漢字にすれば「耳障り」。
これだけで「耳に障る」、つまり「聴き心地が良くない」という意味になります。
「耳障り」に良いも悪いもないのです。
これが仮に「耳」でなく「目」だったら、こんなことにはならなかったのかもしれません。
「目ざわり」は、間違いなく「目障り」。
「おぃ、目障りだ!あっち行け!」的に使う言葉であることは、ちょっと考えれば明らかなこと。
その時の発言者がいいトシをしたオトナの音楽関係者だったので、思わずビックリしてしまいました。
2か月前にも、似たような流れでこんな記事を書きました。
改めて…
「爪痕」とは災害や不幸ごとなど「好ましくないこと」の痕跡。
それが、
「爪痕を残せるように、頑張ります!」
のように、「良い実績」を残す際にも使われるようにもなった。
「インパクトを残す」という意味では同じであっても、「足跡」は大いに歓迎。
しかし「爪痕」はゼッタイに残して欲しくないと、個人的には強く思うのでした。
そもそも「ツメアト」なんて、痛いばかりだしキズが残ってイヤじゃないですか!
「耳ざわりの良い」などという言い回し自体が「耳障り」とも言えます。
ところが、最近活字上で「耳ざわり」をどうしても「肌ざわり」同様に使いたいらしく、本来の正しい漢字をわざわざ「耳触り」に変えた上で「耳触りの良い」と書かれている例に遭遇し、ビックリしました。
「みみざわり」と入力しても、そんな漢字変換候補は出てきません!
これに違和感を抱かない人は、美しい風景を見た時に、同じ感覚で「目触りが良い」などと言うのでしょうね?
では、その人の意図を汲んだ表現をしたい時には、なんと言ったら良いか?
「聞き心地の良い」
あるいは
「耳当たりの良い」
などで十分通じるのではないでしょうか?
自称「音楽人」は、耳にはこだわりが強いのでありました。