深刻な悩み~手書きの日記帳をどうするか?処分するか?
「書くことが好き」の気持ちは、現在はこうしてブログで表現しているわけですが、ネットやワープロが普及する前は、文字の記録はもっぱら「手書き」でした。
そんな時代から、私は日々の思いを綴る習慣を持っていたのです。
きっかけは小学校に入って最初の夏休み。
どの学校でも(そして現在でも)ある宿題のひとつとして、「夏休みの絵日記」がありました。
絵は決して上手ではなかったのですが、紙の下半分の文字欄は、いつもギッシリ書き込んでいました。
2~3行で終わらせる生徒が多い中、たくさん書いていたので担任に褒められました。
それを機に、宿題のシーズンが終わっても自主的にその日のことを書くようになったのです。
日記と言えば「3日坊主」の典型アイテム。
しかし、1か月経っても半年経っても、さえわたる少年は書くことをやめませんでした。
最初は国語用のマス目の入ったノート。
中学に入ると、授業用に使う大学ノートより表紙や用紙がちょっとオシャレなノートを日記帳用に買い求め、1日に半ページぐらいの分量を日々欠かさず書き続けました。
イヤなことが起こっても、その日の終わりに文字を書くと、不思議に気持ちが楽になっていく…
その感触を味わうと、書くのをやめられなくなるのです。
思春期から大学生ぐらいまでは、とても人前では言えないようなことを書き記すことも多くなりました。
社会人になってからも、時間のない中書き続きました。
それから4年後、結婚した時点で、このまま書くことに不安を感じ、突如ストップしたのです。
なぜか?
その時点で、20年近く書き溜めた日記帳は段ボール1箱に入りきらないほどの分量になっていました。
新婚の狭い新居に収納するのはかなり難しいボリュームです。
それ以上に、書かれている内容があまりにもマズすぎる!
ブログと違って「公開」を前提としていませんから、いろいろな意味でそれはそれはひどい内容なわけです。
人に見られでもしたら、とても生きていけないくらい。
しかし、自分にとっては人生の大事な思いが綴られた日記帳でもあります。
まだ早い、まだ早いと思いながらも、いつかは物心共に人生の断捨離・大掃除をしなければならない。
でも、自分の「生きて来た歴史」の証を処分する勇気はとても出せない。
ものすごい葛藤です!
死んでしまえば自分はもうわからないのだから、どう思われようと平気…そんな風に割り切れればいいのですが。
そんな思いを日一日と重ねながら、手書きの古い日記帳は今日も「秘密の場所」に眠っています。