他人や過去の自分と「比べて」いたら、幸せは訪れない
「人生楽ありゃ苦もあるさ」と、過去の時代劇主題歌の歌詞にありましたが、日々の生活はまさに楽しかったり、苦しかったり。
カラダもココロも、ウキウキだったりボロボロだったり。
特に心が弱っている時は、楽しそうにしている人・華やかに活躍している人・高い地位に昇りつめている人をつい羨んだり、時に妬んだりしてしまいがちです。
「あの人はあんなに輝いているのに、それに比べて自分は何故…」と。
でも、幸せそうなあの人も、見えないところでは人知れず悩みを抱えているかもしれない。
幸せの判断基準は、まさに人それぞれ、その人の感じ方次第です。
漠然とした言い方ですが、幸福感や充実感とは、空間的にも時間的にもきわめて「主観的」なものだと思います。
「空間」とは周囲のこと。
「時間」とは過去の自分のこと。
物事は客観的に見るべき、などとよく言われますが、こと自分の幸せに関しては、客観的過ぎると逆効果になりかねない。
人それぞれの幸せの価値観がある。
誰かの、世間の基準に合わせる必要など、まったくないのです。
他人からどう思われようと、「自分が」ステキだなぁと思える時間が過ごせれば、それが一番幸せなのです。
他人は他人と割り切ることは、カンタンとは言い切れないけれど比較的何とかなります。
より大きな問題は、過去の自分との闘い。
「昔は良かった」「あの頃抱いていた将来は、こんなものではなかった」といった思いに、つい陥りがちです。
もちろん、人生において充足感を持てるようになるための努力は大事でしょう。
でも、その結果として存在している「いま」を過去と比べて必要以上に憂いても、事態は何も改善しません。
時間は巻き戻せないのですから。
時には目標のハードルを下げて、「いま」楽な気持ちでいられる時間を少しでも多く過ごす方が、結局は幸せなのではないか?
そんなことを、ふと思ったりします。