さえわたる 音楽・エンタメ日記

オリジナル作品紹介、歌の解説、ヴァイオリン演奏、言葉の使い方、エンタメニュース、旅行記などについて綴っています

【番組紹介】生涯で最も忘れられない番組、「8時だヨ!全員集合」

1969年から1985年まで実に16年もの間、土曜日午後8時の「顔」として君臨したザ・ドリフターズの番組。

毎週1時間の「生放送」で、今では考えられない30%、40%台の視聴率を稼ぎ出していた(最高視聴率は50%超)、TBS系の伝説の「お化け番組」です。

 

番組名を聞いたことはあっても、放送されていた時代を知る人はもう少ないかもしれません。

しかし、TVとの触れ合いの中で(たかがTV、されど…です)人生で最も印象に残っている番組を、と言われたら、おそらくこの番組を挙げるだろうと思います。

 

ざっくりとした構成は…

まず「前半」20分程度ドリフターズのメンバー5人によるコント。

リーダー・いかり屋長介が母親役になり(一見してミスマッチとも思える女装だが、まったく不自然さは感じなかった)、メンバーが子供たちを演じるもの、メンバーが隊員に紛失しての冒険もの、ゲストを交えての学校ものなどが定番メニューでした。

「中盤」は「少年少女合唱隊」。

いかり屋が神父の格好で現われ、階段状の舞台にメンバーやゲスト(バックには本物の合唱団)が白いベレー帽をかぶった聖歌隊の姿で並んで歌うコーナー。

「後半」は、メンバーとゲストによる数分間のショートコント。

中でも、当時最前線のヒット歌手でもあった研ナオコ小柳ルミ子志村けんと演じる「夫婦ものコント」は、歌手でありながら本職のお笑いを超える抜群のセンスに驚いたものでした。

また、毎週3~4人のゲスト歌手が登場して、最新曲を披露する。

「歌番組」の要素も兼ね備えていました。

 

会場は小学生ぐらいの歓声が多かった。

私も含め、子供には圧倒的な人気がありました。

「食卓を囲んで家族団らん」の古き良き時代、親世代である大人も一緒に番組を楽しんでいたことでしょう。

加藤茶がコントで発する「ちょっとだけよ。アンタも好きねぇ」やエンディングでの「歯みがけよ!」「風邪ひくなよ!」のひと言、志村けんの「東村山音頭」など、「流行語」の範疇を超えたフレーズも番組から多数生まれました。

 

1980年代初頭になってフジテレビがバラエティーに注力。

同じ時間枠に「オレたちひょうきん族」をスタートさせてから視聴率を奪われることが多くなり、結局1985年に最終回を迎えることになるのですが、私自身は番組の終わりまでドリフターズに「忠誠」を誓い続けました。

 

毎週欠かさず1時間、しかも公開の生放送。

これだけでも、出演者やスタッフがどれだけの苦労を重ねて来たかがしのばれます。

バラエティーの枠組みを超越した「社会現象」だったと言っても過言ではないと思います。

この先、これほど毎週楽しみに出来る番組は生まれてこないような気がします。