ソロアイドル史第2章~1972年デビュー組
1972年にデビューし、今も記憶に残っているのは、ポップス系3人、演歌(歌謡曲)系2人です。
前者は、女性アイドルとして前年の流れを受けてデビューした麻丘めぐみ、男性では前回取り上げた「新・御三家」の残り2人である郷ひろみと西城秀樹。
そして、演歌系では森昌子と三善英史の2人です。
麻丘めぐみのデビュー曲は「芽生え」で、上記の面々の中を抑えて、その頃まだ権威のあった(?)「日本レコード大賞」の最優秀新人賞に選ばれているので、そこそこのヒットはしたのですが、彼女を一躍有名にさせたのは、翌年1973年にリリースされた5枚目のシングル「私の彼は左きき」でしょう。
郷ひろみは、今振り返ればジャニーズの貴重なソロアイドルとして「男の子女の子」でデビュー。
その後も多くのヒット曲を持ち、彼らの中ではもっとも「現役感」のある存在です。
一方演歌系では、森昌子の「せんせい」が象徴的でした。
タレントスカウト番組の草分けとなった伝説の番組「スター誕生!」感」からのデビュー第1号で、13歳でありながら本格的歌唱力を持ち、演歌歌手を目指すというスタンスが話題でした。
それとは裏腹に、アイドルの定義(?)である「若さ」と当時の時代背景から、彼女はアイドルの一員として、翌1973年にデビューした同学年の桜田淳子、山口百恵と共に「花の中3トリオ」の一員に組み込まれ、高3までトリオ扱いは続きます。
「せんせい」に続き現在でも存在感を残す彼女の代表作「哀しみ本線日本海」や「越冬つばめ」は、1980年代に入ってからです。
三善英史のデビュー曲「雨」も、当時の大ヒットしました。
その後同じ路線で「円山・花街・母の街」「彼と…」などの作品を出しましたが、歌手活動はあまり長くありませんでした。
西城秀樹のデビュー曲「恋する季節」はあまり知られていません。
2年目以降「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」等のヒットで、前述の「新・御三家」が形成されていくことになるのですが、「中3トリオ」同様、あくまでギョーカイで作られたトリオであり、実は西城が1年前にデビューした野口を先輩として見ていたという話もあったりします。
郷ひろみが「小さな体験」「裸のビーナス」でアイドル人気を確立し、野口五郎は演歌系デビュー曲「博多みれん」から方向転換して2枚目の「青いリンゴ」で本格的にアイドルとして知られるようになったのに対して、西城が知名度を得たのは翌年以降でした。
なお、中国系タレント(香港出身)としてデビューしたアグネス・チャンも1972年のデビューですが、年末に近い11月であり、ソロデビュー曲「ひなげしの花」がヒットしたのは1973年だったため、翌年に触れます。