「漢字+ひらがな」の不自然?な熟語例。なぜ「障害」ではなく、あえて「障がい」と書くのか?
ニュースには、音声によるアナウンスをサポートする意味で「字幕スーパー」が併用されるのが一般的です。
たいていは読まれる原稿に沿った形で、または内容を要約して表示されるのですが、そこで気づいたこと。
通常「漢字」で書かれる熟語の片方が、あえて「ひらがな」になっている。
そんなケースがあります。
ふた昔前まで比較的多く見られたのが
「ら致」「だ捕」「覚せい剤」などです。
漢字があるのに、なぜ片方をひらがな表記にして、「漢字とひらがな同居スタイル」にしているのか?。
見た目だけで、ちょっと不自然な印象を感じました。
現在は、いずれも「拉致」「拿捕」「覚醒剤」のように漢字表記される方が多数派になっています。
辞書によると、「拉」「醒」は、現在はいずれも「常用漢字」。
以前はその指定がなく、公共の場で使うことは良しとされていなかったため、漢字表記されることがなかったようです。
一方、「拿」には常用漢字指定がありません。
「拿捕」という言葉自体、「拉致」や「覚醒剤」に比べるとニュースに登場する機会が圧倒的に少ない。
そのため、この熟語自体を目にする・あるいは口にすることはほとんどありませんが、もしも関連したニュースがあった場合には、字幕スーパーにどう表示されるかちょっと注目してみたいと思っています。
(そんなニュースは起こらない方が良いに越したことはないのですが)
そんな中、今度は逆の現象も。
これまでは普通に漢字熟語表記されていたのが、「漢字+ひらがな」に変更され始めて来ている言葉があります。
それは、「障害」から「障がい」への書き換えの風潮です。
これまで普通に漢字熟語として使われていた「障害」の後半が「ひらがな」表記され始めています。
あるいは、ふだんあまり見慣れない「障碍」という漢字に。
「碍」は常用漢字ではないため、ひらがなで「障がい」と書かれることもあります。
これはひとえに、漢字の持つ意味、およびそれがもたらすイメージから来ていると思われます。
「害」には、
「そこなう・傷つける・こわす」のほかに、「わざわい」「災難」などの意味があります。
いずれも、ネガティブなイメージを抱かせる漢字です。
これに対し「碍」には…
「さまたげる・じゃまをする」という意味もありますが、もう一つ、
「ささえる・支えになる」という悪くない意味も持っています。
心身に支障を抱える方々に対して、「災い」の意味を持つ「害」の漢字を使って「障害者」と呼ぶのは、社会通念上ふさわしいとは言えない。
かと言って、「碍」は常用漢字外で一般的にはあまり馴染みがない漢字。
そこで、「障がい」とひらがなにする。
ちなみに、この使い分けは「障がい者」「内部障がい」のように、人間の身体に対してのみの用法のようです。
「電波障害」「交通障害」「障害競走」などには、「害」の字がそのまま充てられています。
また、人間に関するものであっても、「意識障害」「胃腸障害」などは「碍」ではなく「害」のままです。
「呼び捨て」~スポーツ選手は実況中継で、有名人は日常会話で
日本語には、名前に付ける「敬称」が豊富にあります。
「~さん」「~様」「~殿」「~くん」「~ちゃん」。
これらを、時と場合によって使い分けています。
そんな中、敬称を付けないことが一般化しているのが、「スポーツ選手」と「芸能人等の有名人」です。
まず、スポーツ選手。
プロ・アマ問わず、あらゆる選手は、基本的に「敬称抜き」で呼ばれています。
実況中継でも、直接本人を前にして個別にインタビューする際は「〇〇選手」と呼びますが、試合中選手名はすべて「呼び捨て」です。
敬称文化がこれだけ発達(?)している中で、呼び捨てがごく普通に受け入れられています。
日常会話の中で、芸能人をはじめとする有名人の名前を話題にする時も、たいていは呼び捨てです。
よほど思い入れの深いファンであったりすると「〇〇チャン」だったり「〇〇サマ~」を付けて呼ぶこともありますが、ごく例外。
芸能人に限らず、政治家さえも呼び捨てで呼んでいる。
結局、メディアに出る人間はみなそうなのかな、と思ったりします。
これに関し、スポーツ実況中継で特に印象的だと思うのが、
女子マラソンレースといえば必ず登場すると言っても良い解説者・増田明美
のコメントぶりです。
プロ野球の世界では、「名選手、必ずしも名監督にあらず」とよく言われます。
かつて現役選手であったとしても、プレイと指導は別物です。
同様に、現役アスリート全員が名解説者になれるわけではありません。
現役時代とはまったく異なる巧みな「話術」が、そこには必要とされます。
その点彼女は、個々の選手について、レースとは直接関係のない細かいプロフィールやトリビア的なエピソードを随時レースに挟み込んでくることで知られる「名物解説者」となっています。
ここでいつも注目しているのが、彼女が
レース中選手のことを必ず「さん」付けで呼んでいること。
それがとても選手思いに感じられ、非常に新鮮かつ印象深く耳に残ります。
これとは全然フィールドは違いますが、
「くん」付けで統一されているのが、ジャニーズタレントたち。
たとえ先輩でも、みな「〇〇くん」で呼ぶように「訓練」されています。
年上でも後輩だったり、またその逆だったりすることは、どこの世界にもあります。
あるいはもっと厄介なこととして、後輩なのに自分より売れて有名だったり、といろいろ複雑な関係が生まれてしまうこともある。
そうしたしがらみを、「〇〇くん」の呼び名で統一する…
なかなかよく考えられたシステムだと思います。
【懐かしい歌No.54】「忘れていいの~愛の幕切れ」小川知子・谷村新司(1984)
カラオケで男女のデュエットと言えば、
古くは「銀座の恋の物語」や「ふたりの大阪」
少し新しくても「居酒屋」「男と女のラブゲーム」「3年目の浮気」
などが今でも定番です。
これらは、いわゆる「一般向けデュエットソング」
…と言ったら少し語弊がありますが、要は同じメロディーを1オクターブ差で男女が歌うだけの歌です。
「3年目の浮気」に至っては、男女デュエットのはずが、一緒に歌うパートがまったくありません。
厳密に言うと、「居酒屋」のラストは本来絶妙に(けっこう難しい和音で)ハモる「はず」なのですが、カラオケの場でそれがシングル盤通りに出来ているケースを聞いたことがありません。
もっと高度にハモる、かつ演歌色のないデュエットソングは生まれないものか?!
と思っていたところに1984年発売されたのが、この異色のコンビによる楽曲であります。
小川知子はこの曲が発売されるずっと前の1960年代に、今で言うならアイドル的に活躍していたシンガーの一人でした。
「ゆうべの秘密」「初恋のひと」などのヒット曲を持ちます。
谷村新司は、言わずと知れたアリスのヴォーカルの一人。
長らくソロとしても活動中です。
この「忘れていいの~愛の幕切れ」。
もともと谷村のアルバムに収録されていた曲でした。
それを、彼がデュエット用に作り直したもの。
当時大ブームだった「キンツマ」ことテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」が好きだった谷村が、ドラマに出演していた小川にオファーしてこのデュエットが誕生したという経緯があります。
小川にとって、久しぶりに「歌」で注目される作品となりました。
この曲、非常にユニークな構成になっています。
まずは女性の長い「ひとり語り」を行った後、男性が「ト書きのような歌詞」で状況を説明するという珍しいパターンでの展開。
それが2回繰り返された後、いよいよ聴かせどころである「ハモリ」パートに入ります。
二人違う歌詞で、違うメロディーを共に歌います。
小川「手を振るあなたに 心は乱れる」
谷村「さよなら 愛した人よ」
小川「どうかあなた どうかあなた 行かないで」
谷村「どうかあなた 行かないで」
(「どうかあなた」の回数が違う)
「行かないで」のところで、ようやく二人が一緒になってハモる。
6度でハモるという、非常に高度なワザを披露しています。
そしてエンディングでは、大胆な転調のあと男性にメインメロディーが移り、それを3度・4度・6度などさまざまな和音で女性が上からカバーするという、これまたハイレベルなハモリ。
これまでに世に発売されたデュエットソングの中で、これだけ複雑なハモリを持っている歌を、私は知りません。
楽曲そのものではありませんが、この歌で当時大きな反響を呼んだのが、ラストで谷村が小川のドレスの胸元に直接手を入れて歌うシーン。
テレビで初めて見た時、「こんなのアリなのか?!」と驚いたのですが、実はこれは小川側からの提案だったとのことです。
社会人新人の頃、上司に連れられて行った銀座のクラブに、非常に歌の上手なホステスさんがいました。
彼女にお願いしてお店のミニステージでこの歌を一緒に歌ったところ、その日初対面で何の打ち合わせもしていないのに、レコード通りハモることが出来たのです。
ママさんがそれをいたく気に入ってくれまして、ご祝儀でボトル1本キープをいただいた…
そんな、忘れられない思い出もある曲です。
「開設1日目からの毎日連続更新」1周年達成!ベストなブログライフを改めて考えてみた。
この記事を書くのをひとつの目標にして、ここまでコツコツやって来ました。
ついに本日、タイトルにあるように
ブログ開設まる1年を迎えました。
また、当初から目標にしていた
「開設日以来の1年間毎日連続投稿」
も達成することが出来ました。
昨日(正確には一昨日の夜から)、今月5度目の「はてブ砲」と2度目の「スマニュー砲」による「前祝い」を頂戴し、1日だけで年間総PVの約半分のアクセスがありました。
「集中豪雨」の要因になったのが、この記事です。
どこかで炎上しているのかもしれませんが、所詮は1日だけのこと、知らずにいた方が良さそうです。
アクセス数のグラフが「崩壊」しました。
うれしいを通り越して、なんだか怖くなりました。
「これまで1日1日ささやかに積み上げて来たものは、何だったのだろう?」とも。
アクセス元の99%が「www.smartnews.com」、1%が「はてなブックマーク」。
スマニュー、ネガティブな面も含めて恐るべし!です。
あまりのタイミングに驚きましたが、1年間続けた「ご褒美」だと都合良く受けとめることにしました。
今年はうるう年なので、ブログ日数は昨日までで366日。
開設初日である去年の3月21日だけ、わけがわからずに1日で多数の記事を投稿してしまいましたが、以降は「1日1記事」をモットーにして、今日まで続けてきました。
以来、どの日も欲張らず「1日1記事」です。
これだけ書き溜めたブログは、いまや生活の中で大事な要素に成長しています。
しかし、書き続ける中で
「限られた貴重な時間をブログだけにかけ過ぎることは避けたい」
と思う気持ちが、実は少しずつ芽生え始めています。
音楽活動という、記事を書くよりはるかに大事な「確固たる人生の伴侶」を私は持っています。
ブログを開設して以来、1日24時間の制限時間の中に新たに「ブログ」が入り込んでことによって、「自分のプライベートの中でメインの活動」であるべき作曲・編曲・歌唱・演奏活動にやや支障が出ているかも?
と感じることがあるのです。
作曲~創作活動は、「無から有を生み出す」行為。
好きでやっているので苦にはなっていないのですが、いざスタートすると相当な集中力が要求されます。
「落ち着いた環境」がないと、メロディーがひらめきません。
時間も当然たくさんかかります。
音楽活動に障るほどブログに「のめり込む」のは、自分の本来の生き方ではないな、と感じる気持ちが芽生えつつあります。
でも、 一方で「書くこと」が自然に生活に溶け込んでいるのも確か。
手書きの日記を長年続けて来た自負もあります。
せっかくここまで定着したブログライフ。
「音楽が出来ないから」を理由に「連続更新」を途切れさせたくはない。
モノは考えよう。
その音楽をブログで語ることで、両方の領域で満足することができる。
そう考えれば自分にとって良い状態になれる、と思うようにしています。
ブログは「しがみつくもの」ではなく、「書くことで日常を豊かにしてくれる」存在。
極端に言ってしまえば、人生の「目的」ではなく「手段」なのです。
だから、
「必要以上に必死にならない」ことが大事。
そのためには「無謀なペースアップもペースダウンもしない」のが一番です。
登録読者数やPV数は、これまた大事ではあり気にはなるけれど、現状が自分の「身の丈」。
人気ブロガーさんにおいては、
「登録読者数〇〇人達成!」
「1か月で〇〇PV達成!」
といった記事をよく見かけますが、そうした輝かしい実績報告などとてもできません。
プロフィール欄にある「継続日数」だけが、小さな誇りです。
ブログ関連の研究を行う時間や手間をかける余地があること、読んでいただくためにもっと努力を重ねる必要があること、その結果得られるであろう成果があることも理解しています。
しかし、大前提としてブログは「おカネのため」ではない。
ましてや、「仕事」でもない。
最近とみに、
「人生でおカネより大事なモノ、それは『時間』である」
ことをだんだん感じるようになってきました。
「そこにかける時間があるくらいなら、自分の人生で本当にやりたいこと、もっと優先順位の高いことに使え!」
と、心の声が叫んでいるのが聞こえてきます。
「書くのは読んでもらうためでもあるけれど、究極は自分のため」なのですから、その気持ちに素直に従うのも必要だと思います。
とは言え、書き続けることを放棄するつもりはないし、決して現状をネガティブにとらえているわけではありません。
開設1日目から欠かさずの毎日連続更新は、我ながら「よく続いた!」と素直に思います。
そして、これは半ば自己満足で意味のないことなのかもしれませんが、「カテゴリーを絞り、増やさない」ことも守れて良かったと感じています。
見方によっては「特化型」か「雑記型」どっちつかずとも言えます。
それによって、読者登録で損をしている面もあるのかもしれません。
「特化型」にして音楽の話題だけ取り上げることも、常に頭の片隅にあります。
数日前、こっそりとブログタイトルを「音楽・エンタメ日記」に変更しています…
でも、書きたいことは音楽にとどまらない!
音楽だけで見ても、「クラシック音楽」「はやり歌」の両方記事に書きたいと思うような「変わり種」は珍しい存在です。
(クラシック音楽愛好者の多くは「クラシックでないジャンルは音楽ではない」と思っています)
ネットがいくら進化しても、おそらく一生「テレビっ子」は変わりそうにない。
鉄道が大好き。旅行が大好き。だから地理ネタも書きたくなる。
言葉遣いに関して、気になることがたくさんある。
「音楽ネタ」以外の記事にアクセスが集中することもままあり、心が揺れます。
ブログタイトル通り、この状態でも一応テーマを絞り込んで書き進めているつもりでいるのです。
自分の語りたいことから考えると、現在のスタイルがベストに思えます。
この1年、記事の「カテゴリー別内訳」は以下のようになりました。
はやり歌とともに (88)
言葉の使い方 (64)
TVに思うこと (58)
日々の暮らしの中で (54)
マスメディア・ステージ出演 (36)
旅の思い出 (35)
好きな(好きだった)番組 (24)
我が街・暮らした街 (18)
常にこの「軸」に限定して、書き進めています。
方針をしっかり決めて、軸の中でブレずに書き続けることが、自分にとってはとても大きな支えになっています。
「書くこと」の喜びを味わいつつ、続けていきます。
いつご覧になっても、その日の最新記事がアップされている状態にしておきます。
ぜひ、明日からも引き続きのご愛読よろしくお願いします。
「イケメン〇〇」「美人〇〇」は、必ずしも「文句なしの褒め言葉」にはならない気がする
女性に対しての「美人」「美女」という言葉は、昔からありました。
最近はほとんど聞かれなくなりましたが、「べっぴんさん」などという粋な表現もありました。
しかし、男性に使う「イケメン」なるカタカナ言葉の歴史は、比較的新しいような気がします。
女性向けに、「イケウイメン」(?)などと呼ぶことはありません。
「イケメン」が登場する前、男性のルックスの美しさを表現する言葉には
「二枚目」「ハンサム」「男前」「美男子」「イイ男」
などがありました。
しかし、こうした言葉を耳にする機会はほとんどなくなりました。
それぞれ微妙にニュアンスが異なり、素敵だなぁと思います。
それが、現在はすべてが「イケメン」に統一されている感があります。
これだけでも、ボキャブラリーの衰退を感じます。
さらに、「美男」「美女」を強調する言葉として、
「絶世の~」
という形容詞がありましたが、これもまた死語になりつつあります。
それに代わる言葉は、「超~」でしょうか。
なんでもかんでも「チョー」をつければ済んでしまう時代です。
同時に「美人すぎる」などという妙な表現も生まれました。
特に芸能人は、なんだかんだ言いながら「見た目」の良さが評価のポイント。
性別問わず、まずは「美しさ」が求められがちです。
特に、新進の若手俳優(男子)が注目され始めた時には、ほぼ例外なく
「イケメン若手俳優」
という「冠」をつけて称されます。
「イケメン」は、もちろん美しさの褒め言葉。
「若手」にしても、若いこと自体がフレッシュな魅力。
ダブル形容詞の称えようです。
イケメン礼賛は、主人公以外にも使用されます。
たとえば、女性有名人が一般男性と結婚を発表する時のコメント。
「お相手は、IT企業に勤務するイケメン」
「お相手は、イケメン青年実業家」
「ロケバスの運転手さん」がイケメンと報道されていたかどうか覚えていませんが、カッコ良さそうなイメージの仕事に就いている人は、どうやら例外なくイケメンのようです!
「イケメン〇〇」と称されるルックスの良さは、注目・評価されるポイントのひとつにはなり得るでしょう。
しかし、
その人の真価はむしろ「イケメン」の後に来る「〇〇」の部分で問われるのではないか?
と思うのです。
たとえば俳優の世界。
「イケメン俳優」と呼ばれる場合。
ドラマや映画の世界で「本当に」評価されるべきは、「イケメン」の方ではなく「俳優」の部分。
その容姿ではなく、「仕事ぶり」。
つまり「演技の実力」です。
ドラマや映画で顔立ちの整った人ばかり集まっても、お話になりません。
ルックスは、ある程度「必要条件」なのかもしれませんが、決して「十分条件」ではないはずです。
先ほどの「IT企業社員」や「青年実業家」なら、ルックスで仕事をしているわけではないので、なおさらです。
女性の「美人〇〇」にも、同じようなことが言えます。
よく使われるのが、アナウンサーに対しての「美人女子アナ」。
アナウンサーはマスメディアに登場するので、ある意味「半・芸能人」のような存在です。
「見た目」が重視される要素が大きい面も確かにあります。
「美しくないより、美しいと言った方がいいだろう!」
と言う人もいるかもしれません。
しかし、アナウンサーに対して本当に求めたいのは、そのアナウンス能力です。
顔が良くても、しゃべりがヘタであれば、アナウンサー失格だと思います。
一時「美人すぎる市議」という言葉が流行りました。
代議士は、芸能人ではありません。
率直に言って、きちんと政治をやってくれれば、容姿など問うものではありません。
自分が重い病気にかかって、手術を受けることになった場合。
言うまでもなく、
ウデの不確かな「イケメンドクター」より、敏腕の「ブサイクドクター」に命を預けます。
褒め言葉のつもりで使われているはずの「イケメン」「美人」。
あまりの乱用ぶりに、その響きがなんだか軽く感じられてしまいます。
「父兄」はNG。「両親」「父母」もNG。そして残った言葉が…
小中学生の頃、親が学校の行事に参加する機会はけっこう多くありました。
「PTA」という組織。
現在存続しているのか、何かしらの活動があるのかどうかわかりません。
ただし、役員に「選出」されると、親は定期的に学校の主催する会合に参加しなければならず、少なからぬ負担があった…
それは、子ども心に記憶しています。
また、年に何回かは必ず授業参観日がありました。
春・秋の運動会には、家族総出の応援風景もよく見られました。
そしてもちろん、入学式・卒業式といった大きなイベントも。
こうした行事の案内の際、担任から
「これは家に持ち帰り、お父さん・お母さんに見せて下さい」
と言われて、プリントを渡されるのが普通でした。
その際、プリントの宛先にはよく
「(ご)父兄の皆様へ」
と書かれていました。
何の違和感もなく。
3日ほど前に「きょうだい」の記事を書きましたが、そこで思い出しました。
「父兄」。
当時は親のことを、こう呼んでいたのです。
しかも「敬称」として。
「父」と「兄」です。
よくよく考えれば、不思議な呼び名です。
これが、なぜ親に対する連絡の際の宛名になるのか?
戦前の男尊女卑の時代の発想が反映したままの呼び方です。
当然のことながら、今では完全に死語になっています。
マスコミ業界では、放送禁止用語のひとつでもあります。
では、「父兄」がNGワードだからと、代替策として単純に「両親」あるいは「父母」と言い換えれば済むことなのか?
それも、今の時代に完全にフィットするとは言えません。
いまや3組に1組、またはそれ以上が離婚すると言われる時代です。
世の中に「シングルファーザー・シングルマザー」は決して珍しくありません。
必ずしも「父母」「両親」が揃っている家庭ばかりとは限らないのです。
また、離婚が原因でなくても、不幸にして両親と死別して、祖父母その他の親族に育てられている家庭だってある。
あるいは、施設での生活をしているケースだってあり得ます。
さまざまな家庭環境がある中、単純に「親」や「父母」の言葉を使えば済む、とも言えない状況です。
そこで登場したのが「保護者」という言い方。
「保護者」とは、その子供に責任を持つすべての立場の者です。
両親だけでなく祖父母その他の親族、血のつながっていない関係者も含まれます。
家庭をとりまく環境が多様化した現代、最も配慮のある適切な呼び方ではないかな、と思います。
【懐かしい歌No.53】「つばさ」本田美奈子.(1994)
この連載には、大きく2つのパターンがあります。
「A:古今問わずヒットした曲」
「B:売れなかったけれど、イイなぁと思った曲」
今回は、Bの方?
おそらく、ほとんどの方々が初めて耳にされる歌だと思います。
1967-2005。
1985年にデビュー。
80年代は、過去の連載でも触れたように女性アイドル全盛期でした。
同期デビュー組には、中山美穂・南野陽子・斉藤由貴・森口博子・井森美幸・浅香唯、そしてあのおニャン子クラブがいました。
男性では、少年隊だけが突出していました。
当時17歳だった彼女も、年齢的に半ば当たり前のように「アイドル歌手」として位置づけられました。
しかし、用意されていた楽曲は、それとはまったく路線の異なるものでした。
デビュー曲の「殺意のバカンス」は、当時世間に求められていた「可愛さ」ではなく、タイトルからだけでも連想されるように、
「10代とは思えないオトナのイメージ」
を前面に押し出した楽曲。
そのためか、セールス的にはいま一つ振るいませんでした。
本人も当初から「アイドルではなくアーティストと呼ばれたい」願望があったようです。
2作目は、「アイドル人気」を狙った作品「好きと言いなさい」。
3作目は、16ビートに乗せた激しい曲調の「誘惑~Temptation」。
「若さ・可愛さ」と「オトナっぽい優れた表現力」のバランスをどこにとるか、落としどころをどう考えるか、制作陣の模索が続きます。
そして、翌年の1986年。
元来の歌唱力を生かしながらも、アクション面での派手な演出を織り込んだシングル
「1986年のマリリン」
が大ヒット。
後の「Sosotte」「One way generation」などとともに、彼女の代表曲となりました。
ただ、アイドル的な扱いをされた活躍期間は、長くはありませんでした。
1990年代に入ると、ミュージカルに活動の舞台を移します。
1990年のミュージカル「ミス・サイゴン」や「レ・ミゼラブル」では、その歌唱力・演技力が高く評価されました。
さらに後には、声楽への進出も図ることにもなります。
晩年に、半ば彼女のオリジナルソングのごとく頻繁に取り上げられた「アメージンググレース」の透明な歌声。
今も深く記憶に残っています。
本日取り上げた「つばさ」は、そんな活動のさ中の1994年に発売されたシングルです。
デビュー初期に見られたアイドルっぽさや派手なアクションとはまったく異なるイメージの壮大な正統派バラード。
「起承転結」という言葉がありますが、歌の世界ではワンコーラスを
「起」=Aメロ
「承」=Bメロ
「転&結」=Cメロ(サビ)
で作るやり方が一般的です。
この歌は、そんな「ABC」の基本がしっかりと、またクリアな形で表現されています。
熊本県・阿蘇の広大な野外ライブステージで、オリジナルのスロー音源より格段に遅い究極のスローテンポに乗せ、途中カットなくフルコーラスで清々しく歌い上げています。
一番の聴きどころは、2番のあとに訪れるまったく別のフレーズ=Dメロ。
「つばさを 重ねよう~」の30秒以上にわたるオドロキの超ロングトーン!
今振り返ると、ここに彼女の「魂」が込められているようにも感じます。
この歌以降、歌番組で彼女の姿を見ることはほとんどなくなってしまいました。
さまざまな思いがよぎる、圧巻のステージです。
5日連続で記事が「バズる」と、プチ炎上も覚悟。要は内容次第?
実は、先週水曜日から木・金・土・日と5日間にわたって、拙稿はささやかにちょっとだけ「バズって」いました。
どんな記事だったか、レビューしてみます。
11日(水)
毎週連載している「懐かしい歌」の記事でした。
取り上げたのは、30年以上前の歌。
「初めて聴いた」とのコメントもいただいていましたし、「少年隊」自体がもはや「昔のユニット」。
「昭和は遠くなりにけり…」などと感慨にふけっていたら、アクセスの動きが尋常ではない!
「はてなブックマーク」新着エントリーに掲載されたわけでもないのに、なぜ?
状況を調べてみると、メインはTwitter経由でした。
フォロワーさんの中に「少年隊Love」のインフルエンサーがいらっしゃって、「拡散」して下さった。
それが大量アクセスにつながったようです。
しかし、この動きは「バズりの序章」に過ぎませんでした。
12日(木)
この時は、自作曲をスタジオでレコーディングした話でした。
音楽に縁のない方には「まったく別世界」の記事。
その「別世界」が良い方向に作用して「珍しさ」を招いたのか、ブックマークが5通ぐらいの段階で「はてなブックマーク」の「エンタメカテゴリー新着」にエントリーされたのです。
これまでの乏しい経験でも、
「新着」掲載時は、文字通りどんどん新しい記事が掲載されていくために、自分の記事は短期間で画面から消える
ことはわかっていました。
エントリーの「効力」はせいぜいその日のうちぐらいかと思っていました。
ところが、夜になっても翌朝になっても、アクセスグラフの波は高まるばかり。
再度、ふだんは見ることのない「ブックマーク」画面を見ると、
「新着」だけでなく「人気」の方にもエントリーされている
ことが判明しました。
「人気」ページの方は、「新着」よりも画面への定着時間がかなり長いようです。
ブックマーク状況を示す「Users」の数字は、むしろ掲載後に急増。
コメント欄には、ふだん馴染みのないIDがズラッと並びました。
おそらく「通りすがり」になるであろう読者ばかり。
しかし、単なるブクマではなくメッセージの書き込みのされているものもけっこうありました。
ここで「ブログ史上初めての洗礼」を受けることになったのです。
レギュラーの読者の皆さんが書き込んで下さるメッセージは、例外なく「好意的」なものばかりです。
記事に対するご自分なりの意見は織り込みつつも、常に温かいものです。
ところが、どこからともなく初めて訪れた読者のコメントの中に、目を覆いたくなるほどのネガティブなニュアンスが含まれているものがありました。
具体的な文面はさすがに書けませんが、レコーディング事情にも詳しい音楽関係者のように見受けました。
(今は非表示にしてあります)
広いようで狭い「はてなブログ」の世界。
うまく運べば、これをきっかけに「同好のよしみ」で仲良くつながれる可能性もあったのに、のっけから「2ちゃんねる」さながらのタメ口口調で批判めいて書き込まれると、正直ツライものがあります。
でも、「ブックマークエントリー」自体、めったに起こることのない奇跡的なイベント。
「今日はアクセスがたくさんあって良かった」ことだけを思って、イヤなことは早く忘れることにしました。
13日(金)
この日の記事は、「一期一会」の寂しさを素直に綴った、(自分で言うのもヘンですが)割と普通のもの。
ところがこれが、まさかの「ブクマ新着」連日掲載に至ったのです。
当初「暮らし」のカテゴリーに登録されていたのですが、私の記事は内容にかかわらず、なぜか必ず「エンタメ」カテゴリーに変わります。
ブログタイトルのせいなのでしょうか…
前日の記事は、まだエンタメカテゴリー「人気」のページに残っていました。
どちらが多く訪問されたかはわかりませんが、「効果がダブル」だったことは間違いなかったようです。
ブックマーク数がそれほど多くなかったこともあって、幸いこの記事に対するネガティブメッセージはありませんでした。
14日(土)
「2日も続けてイイ夢を見させてもらった」と思いながらこの日投稿したのが、「土曜日恒例」の「懐かしい歌」シリーズ。
音楽ネタは、いくら書いても尽きること・飽きることがありません。
この日は、「懐かしい…」というにはいささか新しい、菅田将暉作品を取り上げました。
これが、再びまさかの「3日連続の新着」入り。
連載50作を超える歌紹介記事としては、初めてのエントリーでした。
レギュラー読者さんからのメッセージは、いつもの通り優しいものばかり。
12日(木)同様、見慣れぬIDの初訪問者も多くありましたが、これも概ね好意的な内容。
「紹介されて嬉しかったです」「つぎの歌が楽しみです」「解説も秀逸です」
といったうれしいメッセージに包まれ、自身が好きな歌に反応があったことに大いに気を良くしていました。
もともと好きだった菅田クンが、ますます好きになりました。
15日(日)
前日まで、個人的には前代未聞の「3日連続エントリー」で、舞い上がったような、ちょっと怖いような、複雑な心持ちにさせられていました。
「2度あることは3度ある」と言うけれど、「仏の顔も3度まで」とも言うし。
「昨日までは奇跡だったのだ」と思い込もうとしていました。
そしてこの日綴ったのが、この記事。
要旨をまとめるまでもない、身近なちょっとしたエピソードをきっかけにした「タイトルそのまんま」だけの内容の記事です。
これが、4日連続のブクマエントリー。
また、再び「人気」「新着」双方に掲載されました。
「3度あることは4度」あったのです。
さらにこの日は「追撃」として、久々の「スマニュー砲」が重なりました。
経験則的に言って、「スマニュー砲」の威力は「はてなブックマークエントリー」の3~4倍はあります。
読者サイドの負担を自分なりに考えて、「記事は1日1つ」と決めていますが、ひとつの記事で半月分ぐらいのアクセスになりました。
毎日見ている「アクセス解析」の棒グラフの形が、とんでもなくイビツになりました。
一番のバズり記事となりました。
そこまでは「朗報」です。
しかし、12日(木)以上にさまざまな初訪問者メッセージが集中し、アタマが混乱しました。
記事内容を真剣に考えて下さるメッセージも、もちろんありました。
反応を示していただけたことには、素直に感謝しなければなりません。
しかし、中には「いくらなんでもそれはないだろう…」的な物言いのものも多数。
「ネガティブな書き込みなど、見なきゃいいじゃん?!」と行きたいところです。
しかし、レギュラー読者の方々からのメッセージも一緒の場所に掲載されるので、いったんは全部目にしなければならないのです。
目に見える形で残しておいてスルーするほどこうした状況に慣れていないので、申し訳ないと思いながら、これもやはり非表示にしました。
「愚痴っぽくて良くない内容の記事だったのかな?」と反省もしました。
でも、本当に問題のある記事だったら、ブックマークにエントリーされることもないのでは?との思いもあります。
掲載の基準が不明なので、そのあたりは永遠のナゾですが…
昨日16日(月)の記事には何事も起こりませんでしたが、この記事を執筆している16日夕刻の時点で、前日の記事が「人気」の欄に掲載され続けています。
それがゆえのアクセス余波がまだ続いていますが、もうすぐ終わるでしょう。
今日からはまた「通常営業」の日々。
記事が立て続けにバズると、それにつれてネガティブなメッセージが押し寄せることも覚悟しておかなければならないことを学びました。
とは言え、そんな「学習効果」が発揮される機会は当面訪れないことも「学習済み」ですが…
「きょうだい」にはいろいろなパターンがあるので、一律に漢字で書き示せない。兄弟姉妹で活動する芸能人は?
当たり障りのない世間話の一環として、家族のことを話題にすることがよくあります。
とは言え、それは条件付き。
先方から言われるのは別として、こちらから
「結婚していますか?」
「お子さんは?」
の質問をするのはタブーだと思っています。
結婚しない人生観の人や、結婚したいと思っていても良いご縁になかなか巡り会えない人に向かって、こちらから既婚・未婚を話題にするのは失礼だと思うからです。
また子供の有無も、もともと子供を持たない考えの人、子供は欲しいけれど授からない人等デリケートな部分があると思うので、避けた方がよいかと。
そんな時は、
「家族構成は?」と尋ねるようにしています。
既婚の人ならば、配偶者・子供(もしいれば)と返答するでしょう。
未婚の人ならば「親と兄弟姉妹の有無」を答えるでしょう。
このように、先方に回答の選択肢が渡って、比較的抵抗がなく答えられるのでは?と思っています。
さて、ここで今「兄弟」と書きました。
「きょうだい」と入力して変換すれば、必ず「兄弟」と出てきます。
しかし、子供が2人の場合、その組み合わせは4パターン。
「兄と弟」「兄と妹」「姉と弟」「姉と妹」。
このうち、漢字として純粋に「きょうだい」と読めるのは、男同士の「兄と弟」の場合だけです。
女同士のきょうだいの場合は、言うまでもなく「しまい」です。
兄妹、姉弟であっても、「けいまい?」「してい?」などの読み方・言葉はなく、便宜上いずれも「きょうだい」と総称しています。
厳密には正式な読み方ではなく、いわば「当て字」のようなモノです。
先日、NHKニュースを見ていた時のこと。
テロップに「きょうだい」とひらがなで表示されていて、そこの部分がやけに目立っていて気になりました。
「兄弟」と漢字表記してしまうと、4分の1しか正解を表わしていないことになるから?と気づきました。
ちなみに、芸能界での兄弟姉妹を見てみると…
それぞれ単独で活動しているケースはゴマンとありますが、「一緒に」活動しているとなると、けっこう限られますね。
「叶姉妹」や「阿佐ヶ谷姉妹」は「設定」上の「あね・いもうと」。
(「阿佐ヶ谷姉妹」は、パッと見も似ていて、ホンモノの姉妹と言われても信じてしまいそうですが…)
ホンモノの兄弟・姉妹となると…
漫才師には、中川家や千原兄弟・ミキ・海原やすよともこなどがいます。
歌手の「あに・おとうと」は、ぴんから兄弟・ビリーバンバン・狩人など。
「あね・いもうと」は、なぜか双子の歌手が思い浮かびます。
ザ・ピーナッツ、こまどり姉妹、祐子と弥生、ザ・リリーズ、リンリン・ランラン…
(古過ぎる!!)
倖田來未とMISONOも、一緒には活動していません。
異性のきょうだいである「あに・いもうと」「あね・おとうと」のコンビはあるでしょうか?
常にペアで活動しているわけではありませんが、歌手の鈴木聖美と鈴木雅之(「ロンリー・チャップリン」でのデュエットで知られる)、作詞家・作曲家である来生えつこ・たかおなどは「あね・おとうと」ですが、芸人のようにコンビで活動しているわけではありません。
「あに・いもうと」のパターンが、思い浮かびません。
いささか古いですが、あのカーペンターズのように…
お店はイヤなら行かずに済むが、電車やバスはお客なのに選べない
飲食店に行くとします。
もし不味ければ、もうその店には行こうとはしないでしょう。
また、接客態度の悪いスタッフがいたらやはりイメージが悪くなって、同じ結果になります。
客は店側の「商品プラスサービス」全体に対して、対価を払っているのです。
逆に、提供する側はその対価を得るべく「企業努力」を重ねる。
そこに「持ちつ持たれつ」が成立するわけです。
ところが、仮にサービス提供に不快感を覚えても、利用者が「お店」を選べないケースがあります。
そう、公共交通機関である電車やバスです。
この鉄道会社・バス会社がイヤだなと思っても、A地点からB地点までの移動にはほかに選べる余地がなく(仮にあっても遠回り)、利用するしかないのです。
「客」なのに「店」を選べない、そんな図式です。
ふだんはそんなことは考えもせず、普通に利用しています。
鉄道やバスの運営会社のサービスに対して、どうこうと意識することもありませんでした。
むしろ、深夜や休日、世の中が年末年始の長期休暇であっても一切関係なく、通常運転をしてくれていることに、感謝の念を抱いていました。
ところが…
ある日路線バスに乗った時のこと。
運転が非常に荒く、態度の悪い運転手に遭遇してしまいました。
乗客に対する言葉遣いもぞんざい。
少しばかり動きの悪いお年寄りの乗客に対して、「早くしてください!」と怒鳴るような言い方をする。
あまりに目に余る態度なので、運転席の上に掲示されている運転手名をメモして会社に連絡してやろうかと思うくらい、不快な時間を過ごしました。
鉄道と異なり、バスという「小さな閉塞空間」でのこと。
余計にやりきれない思いが膨らみます。
しかしそんなことがあっても、移動したい区間を走っているのは、そのバス会社だけ。
イヤなことがあったからと、そのバス会社を利用しないわけにはいかないのです。
1987年に国鉄がJRになった時、サービスの面で利用者としてはこれといった変化は感じられませんでした。
一方、「郵政民営化」された後、郵便局員たちの接客態度は目に見えて変わった印象があります。
窓口での対応の丁寧さを誇る(同時に「慇懃無礼」の代名詞でもある)銀行が「ライバル」になったのがひとつの要因では?と推察しています。
ところが電車やバスには、そうした意味での「ライバル」がない。
サービスの良し悪しは、ひとえに運行会社の「良心」に委ねられている状態です。
それでも利用者としては、安全に目的地に運んでくれさえすれば十分OK。
それ以上ハイレベルのサービスを公共交通機関に求めるつもりはありません。
でも、せめてつかの間の移動時間、快適に気持ちよく利用したいものだと思います。
【懐かしい歌No.52】「まちがいさがし」菅田将暉(2019)
いまや、若手トップ俳優と呼ぶにふさわしい大活躍をしている菅田将暉。
「スーパージュノンボーイコンテスト」に出場したり、「仮面ライダーシリーズ」に出演したり…といったキャリアのスタートは、現在多数がひしめく「若手俳優」と大きくは変わりません。
しかし、そのあとの「頭角の現わし方」が、並みではなかった!
芸歴は実質10年そこそこですが、その間俳優として飛躍。
実に数多くの賞を受けています。
オッサンの目から、若い男子のルックスを云々出来る立場ではないのですが…
今風の形容詞を使っての「超絶スーパーイケメン」とはちょっと違う気がする。
しかし、そんなくだらない修飾語など、彼にはまったく不要です。
彼の出演するドラマを本格的にじっくり見たことはありませんが、アイドルイメージやコミカルな役柄からシリアス・不良役まで、「演技の幅広さ」の秀逸さには、まさに天才的なセンスを感じます。
見るたびに髪型や髪色が変わっていても、何の違和感もない。
「何にでも化けられる」のは、俳優としての大きな強みです。
CMキャラクターにもバッチリはまっているし、バラエティーやインタビューの場で垣間見せる「セリフでない実像」も、真に「可愛くて気の良いニイチャン」そのものです。
演技が上手いと評される俳優でも、「素」の部分に性格の悪さが見え隠れしてしまう人物のファンにはなれないものです。
音楽面について。
2013年頃から、テレビでポロポロと弾き語りで歌ったりしていたようですが、「歌手」としての本格的なデビューは2017年。
2017年1月。
映画「キセキ -あの日のソビト-」で、共演の成田凌・横浜流星・杉野遥亮と共に、劇中で「GReeeeN」の前身グループである「グリーンボーイズ」を結成したのがスタート。
そして、同年「見たこともない景色」でソロデビューを果たします。
2018年、ギター弾き語りスタイルのミュージックビデオが印象的だった3枚目の「さよならエレジー」がヒット。
昨年は、この「まちがいさがし」でついに紅白に初出場しました。
どこにでもありそうな言葉。
しかしどこを探しても見当たらないタイトルに、まず惹かれます。
ご存知・米津玄師プロデュースによるこの楽曲。
パワーを感じるミディアムスローのバラードナンバーです。
彼自身のヒット曲、もはや「ラグビーと言えば、のテーマ曲」と化している「馬と鹿」同様、この曲もイントロなしでいきなり歌が始まります。
つい先日、「最近の男性歌手のキーは高くて…」の記事を書いたばかりですが、この曲の場合、サビの高音部もさることながら、Aメロ部分で男性としてもかなりの低音(正確な音名はLow-A)まで使われているのが特徴のひとつです。
ワンコーラス「2オクターブプラス1音」に及ぶ、非常に音域の広い楽曲です。
蛇足ですが、よく「歌が上手い」とされる歌手の褒め言葉として、
「音域4オクターブを超える歌姫」
「7オクターブを持つ素晴らしい歌声」
などお聞きになったことがあるかもしれませんが…
そんな「オクターブ」は、声として出るはずのないまったくのデタラメです!
冒頭から途中Bメロまで、ほとんどピアノ1本のごくシンプルかつ静かなバックのもと、呟くように歌っている。
そのピアノも、4拍子の拍を刻むだけの最低限のサウンド。
その間のヴォーカルをじっくり聴かせるアレンジ上の配慮が施されています。
そしてCメロ~サビの
「君の目が 貫いた 僕の胸を まっすぐ」
から、ドラム・ベース・ギター等のサウンド、そしてバックコーラスが一気に参加。
訴えるようなメッセージ性の豊かな歌詞の世界を、しっかりとサポートしています。
長く伸ばす音が少なく、歌詞の文字数が非常に多い難しい曲ですが、感情を乗せながら巧みに歌いこなしています。
バラードの場合、1番の出だしはきわめて静かに、2番は同じメロディーながら1番サビでの盛り上がりを受けて、1番とは異なるカラオケに乗せて歌うのが「鉄則」である旨を過去記事で述べました。
この「まちがいさがし」もその例外ではなく、1番のAメロと2番のAメロは、バックの楽器構成が違っています。
歌のラストは、「終止形」と呼ばれる「ドミソ」の主和音で終わるのが通常の姿です。
しかしこの曲はそんな固定観念を破り、「ドファラ」(正確にはセブンス入り)の「不安定コード」のスタイルで、あえて「余韻」を残した終わり方になっています。
新しい曲だけれど、「古い耳」を持った人間にもムリなくしっくり来る。
彼自身の、クセのない素直な歌声が心地良いのはもちろん。
加えて、ピアノとストリングス主体のオーソドックスな楽器構成で、ヴォーカルを潰してしまうほどのノイジーなエレキサウンドがないことも、快適に聴ける大きな要因なのではないかと感じます。
若い時だけもてはやされて、年をとるとカンタンに廃れてしまう「イケメン俳優」が多い中、彼は今後も幅広く輝き続ける存在になれる予感がします。
俳優業がメインなので難しいでしょうが、今どき貴重なソロ歌手として、年に1曲くらいは新曲を聴いてみたいと思っています。
「いつかまた~」は、時として「もう二度と~」
生涯で出会う人の数って何人くらいなのだろう?
そんなことを考えたことがあります。
名前もセットにして顔を合わせることを前提とした場合でも、幼稚園3年で(途中クラス替え含め)50人、小学校6年で100人以上、中学でも100人ぐらい…
以下学生時代トータルにしたら、おそらく「千」の位には達しそうです。
そして社会人生活の年数は、通常学生生活の2倍以上。
濃い薄いの差はありますが、勤め先のメンバー、たった一度名刺を交換しただけの社外の人等合わせたら、また仕事以外で出会う人々も含めたら、「万」に届いているかもしれない。
1万人いたとして、それでも国内総人口の1万分の1、0.01パーセントです。
良くも悪くも、出会った人との「縁」は奇跡的だなぁと思います。
唐突な前置きでしたが、そうして出会った人と
「いつかまた、ぜひお会いしましょう」
と言って別れることは普通にある光景です。
しかし、この「いつかまた」が実現することはない場合が多いのです。
何ともわざとらしかったり、一方とても切なかったりする言葉です。
仕事上付き合わなければならなかった社外・取引先の人。
転勤・異動の挨拶で顔を合わせる時。
社交辞令として「ぜひ今後ともよろしく」あるいは深い関係になっていた時には「いつかまたどこかで…」のひと言も加わったりします。
お互いに「もう二度と会う機会はない」ことがわかっている。
それでも、表向きはそう言って別れるのです。
一方、年賀状を取り交わすぐらいの付き合いの人の場合。
印刷された紙面の余白に、同様に
「いつかまたお目にかかりましょう」
と手書きで添える場合がある。
こちらは仕事上のドライな関係と違って、本当にまた逢えたらいいな…の気持ちがあることもある。
でも、(間柄によりますが)わざわざその人に会うためだけに遠方に出かけたり、仮に近くにいても会うためのスケジュールを調整したりするにはなかなか至らない。
結局何年もご無沙汰になり、そのうち付き合い自体が自然消滅になってしまったり…。
そんな状況は、SNSでも同じです。
なにげなく「いつかまた~」と書き込む。
「ゆるくでもつながってはいるし、機会さえあればいつでも会えるから」と思いつつ、気が付けばその「機会」を作ることなく何年も過ぎてしまっています。
たとえばリタイアして環境が変われば、時間的にも精神的にも今より余裕が出来て、「いつかまた」を実行するのかな?
それとも、トシと共に物事がどんどん面倒くさくなって、結果的に本当に「もう二度と」になってしまうのかな?
今のところ、付き合いが少なくて人恋しく思うほどのヒマはないので、今後については自分でもわかりません。
ただ、自発的かつ積極的にアクションを起こさない限り、「人との良好なつながり」を維持するのは難しいことも、体感的に理解しています。
「はてなブログ」のつながりも、例外ではありません。
現在の読者の皆様は、「ブログは持ちつ持たれつ」の精神にあふれた温かい方々ばかり。
そのおかげで自分のブログライフが存続できているのだと思うと、ただただ感謝です。
ブクマやコメントにも、どれだけ支えられているかわかりません。
いつもありがとうございます。
スタジオレコーディング時は、リハーサルのつもりの「テイク1」が採用になることが多い
ふだんの作曲活動では、今月初めにご紹介したように、自室のパソコンを使って「音づくり」をしています。
しかし、きちんとした形でCDをリリースするなど、何かのイベントあるいは節目で、音楽スタジオでのより本格的なレコーディングを行うこともあります。
レコーディングスタジオは通常「暗室」のような作りです。
マイクに向かって立つと、真正面がガラス張りになっている。
その向こう側の部屋には、作業全体を取り仕切るディレクター。
音響機器関係を取り扱うミキサー。
時に、「立ち会い人」として作詞パートナーたち。
トータル数名が待機する。
そんなスタイルです。
自宅でひとりで行うレコーディングとは、まったく環境が違います。
隣の別室にいるとは言え、「人前」で歌うことに変わりはありません。
何百人・何千人を前にしてのステージパフォーマンスも、場数をたくさんこなしているはずなのに、レコーディングにはそれらとはまったく違う種類の緊張が走ります。
ましてやステージでの歌唱と違って、そこでのパフォーマンスの結果が
「永遠の音源」
として残るわけですから、こと音楽に関しては肝の据わっているつもりの私でもやはり平常心を保つのに苦労します。
マイクの真正面に立つと、ガラス張りの向こう側に居並ぶ彼らと直接目が合ってしまうので、マイクの角度を90度傾けて「横向きで」歌うことが多いです。
そして、いよいよレコーディングに突入。
時間中の進行一切を担当するディレクターの指示が飛びます。
「じゃぁ、まずはリハーサルで軽く流して歌ってみましょうか!」
自分で作った曲なので、マイペースでフルコーラス歌ってみます。
これが「テイク1」になります。
「ハイ、OK!じゃぁ本番行きますね。途中で間違えても『つなぎ』(一部分をカットして編集すること)でイケるから、リラックスして!」と。
こちらとしてはリハーサルに続き、2度目の歌入れになります。
それもひと通り終了すると、
「2番のここのところ、ちょっとこうしてみましょうか?」
「リフレイン入りは、もう少しこんな風に」
等、詳細なコメントがあれこれ入って、同じ所を小節を区切って何度か歌い直します。
「他人から指示を受けて歌う」のは、非常に新鮮な感覚。
演奏時間にしてたかが3分4分の1曲を歌うのに、何時間もかかります。
自宅でのレコーディングでもそうですが、1曲仕上げるまでに求められる集中力はハンパない!
飲み会後にカラオケで歌うのとはワケが違います。
ましてやスタジオでとなると、ほんの30分もしないうちに、体力的よりまず精神的に集中力が途切れてくるのが自分でもわかります。
いろいろやり直して、さまざまなテイク(バージョン)のヴォーカルが出来上がるのですが、不思議なことに、
最終的に採用になるのは、当初「リハーサルで」と言われて歌ったテイク1だったりすることが多いのです。
リハーサルと言われると、心の中で
「これは本番じゃないから、好きなように歌おう」
という気楽さが芽生え、結局はベストな歌声を呼び込んでいるのかもしれません。
技術的に「つなぎ」が出来ると言っても、流れとして途切れていないヴォーカルの方が絶対聴きやすいに決まっています。
どの現場においても、「じゃぁ本番…」のひと言は、多かれ少なかれプレッシャーを招きますね。
そんな苦労の末出来上がった、CDの数々です。
(右側にあるジャケットは、他の女性歌手に提供した楽曲です)
【懐かしい歌No.51】「君だけに」少年隊(1987)
1982年、「ジャニーズJr.」として活動していたメンバーの中から3人が選抜されて結成した少年隊。
当初は「ジャニーズ少年隊」と名乗っていましたが、レコードデビューが決まって「少年隊」のユニット名になりました。
そして、1985年12月12日。
「仮面舞踏会」で、まさに満を持しての華々しいデビュー。
彼らは、3人のグループになる前にもジャニーズ事務所のメンバーであったわけで、いつデビュー出来るかわからない「下積み」の期間がけっこうあったわけです。
しかしそんな苦労が報われて、デビュー曲は大ヒット。
「ブッチギリ」で、翌1986年の各新人賞を総なめにしました。
現在、3人揃っての姿を見ることは残念ながらなくなっています。
東山紀之だけが、その後圧倒的な「生き残り」となるとは、当時想定できませんでした。
しかしグループは今でも「解散」していないことになっています。
その意味で、ジャニーズ最長の活動歴を持つグループとされています。
彼らがアイドルとして人気を得た要因。
もちろん、ルックスやダンスのカッコ良さが、主に若い女性に支持されたことによるところが大きかったのでしょう。
その一方で、注目したいのはその歌唱力とハーモニー。
先輩・後輩、実に数多く活動するジャニーズアーティストの中で、古今比較してもトップクラスなのでは、と評価しています。
あのジャニーさんをして「ジャニーズ内で最高のユニット」と言わしめたのも、理解できるような気がします。
彼らに提供された楽曲も名曲揃いでした。
ダンサブルな16ビート、アップテンポの「仮面舞踏会」からして、実に緻密に構成された曲。
3人の掛け合い・カラミや、超ハイテクニックな「三重ハモリ」があったりして、ひとりでカラオケでは歌えない相当の難曲です。
そして、デビューから1年半後に発表された6枚目のシングル「君だけに」。
この時代に活躍したアイドルポップスでは、男女を通じてなかなかお目にかかることがない「本格バラード」の名曲でした。
楽曲構成は、AメロとBメロしかないシンプルなスタイル。
この場合、「曲全体の盛り上げ」の観点から、Aメロ⇒Bメロに移行してラストに向かうパターンが一般的なのですが、この曲では
「Aメロから始まって、Bメロを経由して、(若干アレンジを加えた)Aメロで終わる」
構成になっているのです。
それはとりもなおさず、出だしの
「君だけに ただ君だけに あぁ巡り会うために~」
の歌詞フレーズを、聴く者の耳に強く印象づけるため。
その狙いが、見事に功を奏しています。
メロディーと詞が、がっちりスクラムを組んでいる印象です。
ステージでは、ごらんのような(これまた、誰でもマネできる単純な振り付けではない)本格的かつバレェのような華麗なダンスと共に、歌唱ではハーモニーもきちんと楽しむことが出来ます。
テレビでは非常に珍しいフルコーラスバージョンです。
バックのサウンドは、生演奏ではなくシングル盤と同じものが使われています。
地縁のあった長岡市。「県内第2位」つながりで、かつて暮らした被災地・石巻市の「3・11」を思う~全都道府県旅行記・新潟県
新潟県、特に新潟市と言えば、仕事で行く出張先のイメージだけでした。
新幹線で途中の駅はすっ飛ばし、新潟駅に到着するやいなやタクシーで仕事場に向かい、日帰りで東京に戻る…そんな慌ただしいスケジュールばかりでした。
駅から歩いて数分のところ。
日本一の長さを誇る信濃川にかかる有名な「萬代橋」があります。
河口近くには、佐渡ヶ島へ向かうフェリー乗り場もあります。
美しい水辺にたたずむ市街地の風景が広がっています。
新潟市は、残念ながら出張先としてのみ。
「旅行」として訪れたことがあるのは、県内第2の都市・長岡市です。
母の生誕地であり、母方の祖父の本家一族は今もこの土地に住んでいる、という話は昔から聞かされていました。
と言っても、彼らと実際に接触する機会はごくわずか。
幼い頃、本家の長男であった祖父の家(都内)に弟・妹や甥・姪(母のおじおば・いとこ)などが訪ねて来て、彼らとはその際に顔を合わせたぐらいの記憶しかありませんでした。
法事の関係で、初めて長岡の地に降り立った時のことです。
駅からお寺に直行、用事が済んだら特に寄り道もせずすぐ戻ってきてしまいました。
めぼしい観光スポットを巡ったわけでもないので、「旅行」とも言えないくらいです。
駅前すぐのところに、「長岡城址」があると知り、ちょっとだけ立ち寄ってみました。
商業施設の傍らに、石碑が1本残っているだけ。
歴史を偲ばせるようなものは、あいにく見当たりませんでした。
この時、親戚一族とは子供時代以来の再会。
一応だいたいの「家系図」と名前は頭に入っていたのですが、顔と結びつかない。
でも先方には、私に対するはっきりした記憶があります。
何十年ぶりに会ったいいトシしたオッサンに向かって
「まぁ、わたるチャン、こんなに大きくなって~!」
と親しげに接してくるのです。
このトシになって、なかなか「チャン」付けで呼ばれることはありません。
話に聞いていた以上に親のいとこ関係は幅広く存在しており、それぞれの配偶者やその子供たちになると、もうまったく判別がつきません。
冠婚葬祭の時ぐらいしか集まらない顔ぶれ。
親戚の付き合いって、案外そんなものなのかもしれませんね。
薄いながらも血縁関係がある彼らではありますが、
「遠くの親戚より近くの他人」
を、一番体感したひとときでした。
ところで、その長岡駅。
新幹線も通っているので駅舎はまぁまぁ立派です。
県内で人口第2位の長岡。
ほかの県もこれまで公私含めて全国多数歩いていますが、共通する特徴は
「県内第2の街の駅前にしては、人通りが少ない」こと!
東京の賑わいに馴染んでいる身からすれば、どこへ行っても「空いている」と思えるのかもしれません。
駅前に商店街はあって、お店もそこそこ営業しているのに、肝心のお客が全然通っていないのです。
これが、「県庁所在地」以外の地方都市の一般的な姿なのでしょうか。
そこで思い出したのが、私が小学生時代を過ごした宮城県・石巻市。
震災の後、「街や母校はどうなっているだろう?」と心配して訪れた石巻。
そう言えば石巻も、一応県内第2の都市ではあるけれど、県庁所在地である仙台との格差は比べ物にならないくらいでした。
被災地となって、その差はさらに拡大。
いまや買い物客は、クルマで通える近郊のショッピングモールに集中し、かつて百貨店や大型スーパーがあった駅前の商店街は、完全に「シャッター通り」と化していました。
明日が9回目の「3・11」です。
それに比べれば、長岡は十分に「大都会」でした。
どの県も似たような感じなのだろうか?と、「地理大好き人間」は分析したのでした。